ラベル 大塚さまじ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 大塚さまじ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017-07-05

大塚まさじ / いのち

大塚まさじ / いのち

01.いのち
02.春のはじまり
03.パラダイス・カフェ
04.八尾の風
05.コンケーンのおじいさん
06.夕暮れ
07.あの道
08.What A Wonderful World
09.鳩
10.魔法の言葉
11.大地の隅で
12.月のしずく

ミュージシャン:
長田TACO和承(E・Steel・G) 湯淺隆(Portugal・G) 吉田剛士(Mandolute)
ウォン・ウィン・ツァン(A・Pf. Syn) 清水武志(A・Pf. Org) 森扇背(E・Ba) 夢ミノル(Dr. Per) 船戸博史(W・Ba) 高木太郎(Per) 渡辺亮(Per) 黒田かなで(Vn) 秋本節(Cl) 唐口一之(Tp) 大塚まさじ(Vo. A・G)  

Produced by 大塚まさじ、長田TACO和承
Arrenged by 長田TACO和承、マリオネット(3)、ウォン・ウィン・ツァン(11)
Recorded, Mixed & Masterd by 加門清邦(WOODY LAND)
Recording Engineered by 長島直乘

Photograph 糸川燿史
Design 高橋雅之

2015-03-28

大塚まさじ / アイノウタ deluxe


 








雲遊天下〈120〉(以下、原稿は同誌寄稿のもの)

ボブ・ディランがネヴァーエンディング・ツアーをスタートさせた1988年、ソニーはポータブルのDATレコーダーを発表した。コンパクト・ディスクが一般的に流通しはじめてから3年ほどで、デジタル・レコーディングがお手軽になったのだ。翌年、トム・ペティははじめてのソロ・アルバム『フルムーン・フィーヴァー』で「CDリスナーへ ここからがB面」という音声を曲間に挿入した。大塚まさじの『アイノウタ』が発売されたのは1991年。記録物としての音楽を取り巻く状況が劇的に変化し、その混乱がようやく落ち着きはじめたころだった。
 「歌をうたって生きていこうと決めたのは10年ほどまえだったかなぁ」
大塚まさじ / アイノウタ
 大塚まさじのことばにわたしは少なからず驚いた。それは90年代半ばのことで、葉山の海岸線を彼が運転する車に乗っていたときだった。うたいはじめたころからずっとシーンの中核にいた大塚まさじ。ディランⅡ解散後もその支持は変わることなく、シーンが完全に衰退してしまった次の10年もなんなく乗り越えてしまうだろうとわたしは一方的に考えていた。にもかかわらず彼がそう決意したのはデビューから10数年も経てから。わたしよりもはるかに年上の歌い手が厚生年金会館に立つ姿はとても大きなものに映っていた。
 10年ほどまえ。それは大塚まさじが「一人旅」と銘打った活動をはじめた1985年のこと。わたしは70年代後半のストリート・ストリートの延長戦線上にあるものと安易な思考をめぐらせていた……が、それよりはスケールが大きく、ずっと過酷な作業であることもすぐに理解できた。振り返ってみれば、音楽そのものが混沌としているなかでの彼の行動、決断もわたしを驚かせた要因であっただろう。

 『アイノウタ』は大塚まさじにとってはじめてのCDであり、(フルアルバムとしての)前作『STREET STREET』からは11年もの月日を遡らなければならない。この間に5曲入『屋上のバンド』を88年に発表しているが、『アイノウタ』はそのキャリアのなかで2度目のデビュー作品といってもいい状況下にあったことはたしかである。
 「まず、長さが違った」と大塚まさじはいった。アナログ・レコードではA、B面合わせても50分を切る作品がほとんどだったのにたいし、CDは60分を超えるものがほとんど。さらに後者においては(作品における)長編物語を作らねばならず、「区切り」を持たないコンセプチュアルな記録物だ。前記したようにトム・ペティがCDリスナーへメッセージを送ったのもうなずける。後に邦楽CD市場ではシングル曲ばかりを集めたアルバム制作が一般的になっていくが、そういうコンセプトの重要性が、比重が大きくなっていったこともミュージシャンたちにはプレッシャーになっていただろう。加えて、デジタル・レコーディングという極めて電子的な数値で自身の音楽が歩き出していくことへの戸惑いものしかかっていたに違いない。その後のインターネットの拡散でさらに音楽は無機質なイメージを拭えないものとなっていく。
 ボブ・ディランのネヴァーエンディング・ツアー同様、大塚まさじの「一人旅」は遠方へと出向き、ライヴに足を運んでくれる人たちとのコミュニケーションを図る。それは時代とは逆行しているようにみえた。アルバム『アイノウタ』は色彩豊かな作品となり、長年の相棒・長田(TACO)和承にくわえ中川イサトも参加したことでアコースティックの色合いも濃い。バードコールなどが使用されているのは、おそらくレコーディング・エンジニアの藤井暁のアイディアだろう。本作において「自然」を意識させているのはサウンドだけではない。歌そのものにおいても人間界の摂理、(「一人旅」からの影響か?)「道」「つづく」などのことばか目立つ。高橋照幸「Free Green」は違和感なくわたしのなかへ溶け込んできた。
 20世紀最後の10年の幕開けとなった当時、新しいミレニアムはどうのようになるのか? との予想が飛び交っていた。その多くが「複製文化に台頭する身体性」との回答。米国ローリングストーン誌は「インターネットとライヴ活動……相反するものを駆使して巨大化していくバンド」という特集を組んだ。つまりは無機と有機の相互作用。それは、あのときにあった『アイノウタ』そのものだ。大塚まさじは「一人旅」で体験したものをこの作品に紡いだ。参加ミュージシャンは13人にのぼり、沢田としきの絵をアルバム・カヴァーだけではなく収録曲の歌詞ごとに配置した。押し寄せるデジタルの波に人力の防波堤で『アイノウタ』は対抗した。否、そのサウンドからすれば、デジタルを活かしながらアナログ的体験と彼のつながりを編み込んだというほうが正しいのかもしれない。大塚まさじは「カタカナの“アイノウタ”」であることを強調する。時代との融合を意識していたのか? その力強さ、アイディアは四半世紀を過ぎようとしている今日でも作品を色褪せないものとしている。(TEXT:北村和哉)
        

大塚まさじ / アイノウタdeluxe クレジット


大塚まさじ / アイノウタ deluxe
album organizer:北村和哉
参加ミュージシャン:長田(TACO)和承 / 大庭珍太 / 松本照夫 / 中川イサト / 松田幸一 / チャールズ清水 / 近藤達郎 / ロケット・マツ / ウィーピング・ハープ妹尾 / 友部正人 / Annsan / Suzy Kim / 西岡恭蔵

収録曲:01.アイノウタ - 大塚まさじ/長田和承  02.シャバダバ Baby - 友部正人/大塚まさじ  03.五月 - KINTA/中川イサト  04.二人 - 大塚まさじ  05.旅のスケッチ - 大塚まさじ  06.Mono Tone - 大塚まさじ/西岡恭蔵 07.Star Dust - Mitchell Parish / Hoagy Carmichael/田川律/大塚まさじ  08.Blue Angel - 大塚まさじ  09.Free Green - 高橋照幸  10.The Songs - 西岡恭蔵/大塚まさじ

DVD1993年スタジオライヴ:松田幸一/中川イサト/チャールズ清水/バカボン鈴木/向井滋春










2014-10-03

大塚まさじ / 諸戸美和子 live and painting news

ホイホイレコードからリリースされている大塚まさじのライヴCD-R。そのカヴァーイラストレーションを手がけている諸戸美和子のライヴ・ペインティング・イベントです。ライヴはもちろん大塚まさじ。

10月18日(土) 「スペース 草」
18:00 open / 18:30 start
大阪府豊中市東豊中町4-1-13 




2014-08-04

event news

8月17日『中古&廃盤レコード・CDセール』
“サブカル原っぱ:~ヤンタンの時代から”
阪神梅田本店(大阪市北区梅田1-13-13)
出演:糸川燿史、嘉門達夫、金森幸介
start:15:00ごろ
お問い合わせ:tel 06-6345-1201
18日には大塚まさじも出演


2014-03-22

映画「父のこころ」



 知り合いが映像作品に出演する、という体験をほとんど持たないわたしにとって、その映像を観るという行為は、どことなく気恥ずかしさがある。「いつもと違う彼」に違和感を持つからなのだろうか …… わからない。そのことを覚悟して映画「父のこころ」を観にいった。そして、上映数分前まで主演男優と話した。主演男優はわたしにおまんじゅうをすすめてくれ、ジャケットの袖に付いたペンキに悩まされていた。そんな彼がいきなり巨大なスクリーンに現れる。差異は承知している。
 ところが、映像はわたしのなかに自然と溶け込んでいいく。学校が映し出されたシーンでは、これが「風のがっこう」か? とひとり呟く。奥村賢一役の大塚まさじは、わたしが知っているうたう「大塚まさじ」。違うのは設定だけ。スクリーンのなかではギターの代わりに骨壺を持っていた。
 どうして大塚まさじの演技はこれほどまでに自然なのだろうか?
 クランクイン前、大塚まさじは俳優で、彼の友人でもある綾田俊樹に演技の相談をしたところ「素人なんだから演技はしないこと」と忠告されたという。
 だから自然なのか?  それほど安易に実行できるものなのだろうか?
 演劇や演技について明るくないわたしがこのようなことをいうのもおかしな話だが、映画「父のこころ」でもっとも驚いたのはそのことなのだ。

 大塚まさじをはじめてスクリーンで観たのは映画「肉色の海」(1978年作品 監督:井筒和幸)だった。そのことを思い出してみよう試みたが、どうしても思い出せない。思い出そうとすると彼自身のアルバム『風が吹いていた』のカヴァー写真が浮かぶ。たしか町のチンピラ役だったが …… そういえば、あの写真と同じ黒い革ジャンを着ていたような気がする。映画「父のこころ」では三つ釦のジャケットを大塚まさじは着ている。(本来は違うらしいが)少しカジュアルな印象があった。個人的には二つ釦のほうがフォーマルで古めかしいと思っていて、わたしが想像する「奥村賢一」という人物は二つ釦のジャケットを着ている。わたしは大塚まさじの背広姿をしらない。それだけに三つ釦というカジュアルさが普段の「大塚まさじ」を思い出させてくれたのかもしれない。
 1970年前後、芝居の幕間でうたいはじめたシンガーたちとそうではないシンガーに違いを感じたことがある。「違い」という具体的なものではない。「匂い」というほうが正確かもしれない。それは、及川恒平が喫茶ディランに大塚まさじを訪ねてきたことがあるという話を聞いたことがあるときだった。わたしのなかで「奥村賢一」以上にふたりは重なり合った。及川恒平だけではなく、友部正人や下田逸郎らとも同じ「匂い」がする。それまでにあった既存の世界ではなく、新しいなにかを切り開こうとしてきた世代の「匂い」なのだろうか? それは、もしかすると「存在」といい替えられるもののような気がする。「存在」はどのような環境によって変化し、変化しない。だからスクリーンのなかにも溶け込んでいく。
 変わっていくなんて / きっとない……のか?




2013-04-28

大塚まさじ live at 青梅 W-Point



  大塚まさじ with 藤縄てつや(ギター)、山本太郎(クラリネット)
 live at W-Point (青梅)