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2019-02-25

「いとうたかお vs 駒沢裕城 duo tour」無事終了!














「いとうたかお vs 駒沢裕城 duo tour」
(feb 21 House of Crazy / feb 22 ヴォーカリスト / feb 23 henoheno / feb24 セレンディプティ)
無事、終了いたしました!!
ご来場いただいた方々、お店の方々や手伝っていただいた方々も、本当にありがとうございます。
とても楽しかったです!
また、見逃した方々や来られなかた方々、も〜知らん! 
ウソウソ。またの機会をお楽しみに〜。
(ちなみに「いとう・駒沢、それに松田ari幸一・斉藤哲夫」によるcircle games 公演は3/19 チキンジョージ 3/20 得三 3/23 サムズ・アップ)
写真は、今回のツアーの基本的構成とセットリスト。
初日の21日は「そうかい」に代わって「夜更けの街角」が、
22日はアンコールで「夜更けの街角」がリクエストのため1曲追加。24日は「小舟」が演奏されました。
2nd set では駒沢裕城への「質問コーナー」を設けました。
今回のツアーでは「駒沢裕城に話させよう!」という目的がありました。駒沢裕城は日本のポップスシーンの黎明期を支えてきた人なので、この人のお話はとてもおもしろいんです(それは徐々にお伝えしていきます)。
駒沢裕城自身も「今回は話すことが多かったので、お客さんとの距離が近くに感じた」といっていました。また今回のツアーではじめて自身のペダルスティールをステレオで流すことにも挑戦していました。彼の演奏がより包み込むような印象を与えられたとわたしたちは考えています。
今回は中部・関西方面でのライヴでしたが、次はいろんなところへいければいいなぁ、と思いますので、オファー、待っています!!

2018-07-30

Bob Dylan live at FRF

日曜日(29日)、ボブ・ディラン大先生は新幹線で東京~苗場(越後湯沢)間を日帰り往復し、わたしも同区間を車で日帰り往復した。フジロックフェスティバルへ行ったのではない。わたしは「ボブ・ディランの歌」を聞き、その姿を確認しに行ったのだ。
その2日前、ソウル公演で大先生は「ギターを持った」というニュースが流れていた。もうそれだけで朝からドキドキ。もし29日の公演で大先生がギターを持てば、わたしにとってみれば9年ぶりにその姿を見たことになる。9年前は、たしかロスベリーミュージックフェスティバルで7月3日か4日だった。その間、わたしが見た大先生の30公演以上はギターを持たなかったのだ。ピアノかハンドマイクだけだった。
でも、大先生はギターを持たなかった。それでも「メイク・ユー・フィール・マイ・ラヴ」「バラッド・オブ・ティン・マン」「風に吹かれて」の3曲でハーモカを吹いた。ハーモニカそのものもかなり久しぶりだった。ステージには(たぶんノーベルプライズがらみの)胸像が新たに飾られていた。
「マスターピース」も久しぶりだったなぁ。
これもノーベルプライズがらみか? これほど観客が沸かない「ディストレーション・ロウ」ははじめてだったような気がする。
でもそんなこと、わたしはどうでもよかった。

開演前、ボブ・ディラン大先生を見たこともない人たちが大多数を占めるこの会場で、彼らが大先生をどのように受け止めるのかという不安と緊張がわたしを襲っていた。通常は巨大フェスでも演奏中のスクリーン映像はない。しかし今回は(大先生のアップのみだが)それが許可されていた。
大先生が白日のもとにさらされたのだ。
まぁそれも要らぬ心配で、大先生は終始上機嫌。「バラッド・オブ・ティン・マン」演奏後には、ダチョウ倶楽部顔負けの「ヤァ~!」というゼスチャーまで見せた。
全16曲、モノ凄いスピードだった。
大先生のピアノはピコピコと逸脱、旋回しながらも、また元へと戻ってくる、まるでジャムバンドのような、一回性と身体性を強く感じさせた。
まだまだゲンキやわぁ〜!
ちょっと痩せたような気もするけど、プライベートジェット移動でもう少し太ってください。

2016-08-06

パンチ・ブラザーズ live at BlueNote 東京

ジェイソンって来日してるの? と友人から電話があった。
わたしたちの友だちのジェイソンは元フィッシュのパブリッシャー。彼にはホント、お世話になった。毎日は「窮屈なのはあたりまえ」ということ思い出させてくれたフィッシュ。ロックンロールに夢中だったころのようにワクワクさせてくれた彼らのライヴを観るためのサポートをしてくれていたのがジェイソンだった。
彼は今、今月はじめに来日していたパンチ・ブラザーズのマネジャー。でも今回はその公演に同行していなかった。そんなことはパンチ・ブラザーズのショウには関係ないけどね。わたしはクリス・シーリーも以前のバンド、ニッケル・クリーク時代にときどきは窮屈な思いをしていたんだろうなぁ、もしかすると今も同じ? と考えながら息の詰まるようなブルーノート東京で35歳になった彼を観ていた。
3日間で6回の短いショウ。マイク1本のオールド・ブルーグラス・スタイルなのにステージに奥行きがない。会場後方にいる音楽業界の人たちはセットリストやオーダーが毎回異なることで興奮している(スイマセン。途中まではセットリストをメモしていたのですが……くじけました)。
まぁ、窮屈なのはあたりまえ、か。
ちなみにブルーノート東京近くにあるビリケンギャラリーで開催されている「はちみつぱいトリビュート展 / 私のセンチメンタル通り」は8月末まで延期されたそうです。
(パンチ・ブラザーズには音楽業界の先生たちがたくさん来られていましたが、ビリケンギャラリーには立寄られたのかなぁ?)

2016-07-01

クソジジィ / one of these days

先日、曙橋バック・イン・タウンで会った(日本の)音楽業界のクソジジィとの会話。以下「」部分はその人物の発言です。
「あのアルバムにリトル・フィートを起用したのは、わたしなんですよ」
へぇ〜スゴいですねぇ……っていうかカッチョいい!!
「わたしはローウェル・ジョージの追悼コンサートへも行きましたよ」
ホントですか!! スゴすぎる。もうそれだけでワクワクします。
「ローウェル・ジョージの家へも何度も行きましたよ」
「別れた妻がビル・ペインと今も友だちなんです」
まぁ、そんなことはどうでもいいですけどね。わたしはプレイにしか興味がないんで。
「ところでキタムラくん、ネオン・パークがアルバムの絵を描いたのって『セイリン・シューズ』だったよね?」
だって!!
この程度なんですよ。団塊のクソジジィって。
久しぶりに殺意を覚えてしまった。
わたしが手を下すまでもなく勝手に死ぬでしょうけど。
1日も早くその日が来るのを待ってます。

2016-06-24

アメリカン・アコースティック live at ケネディ・センター

アメリカン・アコースティック live at ケネディ・センター、ワシントンDC

パンチ・ブラザーズ(クリス・シーリ)がホスト役となり、ベラ・フレック、エドガー・メイヤー、アイム・ウィズ・ハーが入れ替わり演奏するという趣向のライヴ。
わたしはベラ・フレックとクリス以外ははじめて観るプレイヤーばかりだった。とくにクリスとエドガー・メイヤーのデュオ・アルバムBass & Mandolin はわたしの大好きな作品である。もしかするとこのデュオのパフォーマンスを観ることができるかもしれないという期待を込めて観戦することにした。

1st.set
Punch Brothers : Julep / Magnet / Hops / Rye
I'm with Her : See You Around / Bright New Day / Crossing Muddy Waters
Bela Fleck and Edgar Meyer : Bach #6 / Bubbles / Canon / Pile-Up

2nd.set
Punch - Bela : See Rock City
I'm with Her - Edgar : I Think o f You
Punch - Edgar - Aoife : Here and Heaven
Bela - Gabe : Hard Times
Sarah - Punch : Tourist
Punch : Familiarity
Bela - Edgar : EM
I'm with Her : Be My Husband
Bela - Edgar - Punch : Blue Men of the Sahara
everyone : Long Hot Summer Day

encore
everyone : Fiddle Tune Medley / Father Adieu

なんといってもエドガー・メイヤー。
わたしが一番観たかったのはコントラバス・プレイヤーの彼だった。(あまりこういういい方は好きではないが)このイベントで彼だけがコンテンポラリーのプレイヤーである。残念ながらクリス・シーリとエドガー・メイヤーのデュオのシーンはなかったが、ベラ・フレックとのデュオは最高のパフォーマンスだった。もうこれだけでワシントンDCまで来た甲斐があるというシロモノ。はっきりいってベラ・フレックほどのミュージシャンでなければエドガー・メイヤーの相手はできないだろうし、その逆も。いくらクリス・シーリが「天才」であったとしてもまだ35歳。これからエドガー・メイヤーほどの攻撃力はないし、彼ほどやさしいタッチで演奏はできない。
これまでにベラ・フレックの相手役としてフレックトーン時代のヴィクター・ウッテンやオーテイル・バーブリッジなどどちらかというとプリミティブ系のベーシストを観てきたが、理知的なエドガー・メイヤーのほうがベラ・フレックのプレイに合っているような気がする。おそらくはベラ・フレック自身もそのことを理解していてプリミティブ系のベーシストたちと多くプレイしてきたのだろうけど。

このイベントの趣旨はアイム・ウィズ・ハーのようなこれからのグループとあるていどキャリアを持つパンチ・ブラザーズ(といってもまだ半世紀以上は演奏できるけど)、そのお目付役としてのベラ・フレックとエドガー・メイヤーがいた。この3世代?が混同することでアメリカーナ・ミュージック〜コンテンポラリー・ミュージックへと向かわせ、不滅のものへとさせるためだろう。
わたしの3席隣にノンサッチ・レコードの社長デイヴィッド・ビトナーがいた。
彼の仕業か?
ならばどこかにT−ボーン・バーネットがいてもおかしくなかったのだが。

meet again

「DCに住んでいるのか?」と後ろから声をかけられた。
最初はわたしに話しかけているとは気づかなかったけど。
振り返るとデイヴィッド・ビトナーがいた。ノンサッチ・レコード社長……というよりは、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブをアメリカへ持ち込んだ男。
24日、ケネディ・センターで開かれた「アメリカン・アコースティック」というコンサートの会場で、わたしの3席隣に座っていた。
まぁ、彼がこのコンサートの実質的プロデューサーでもあるのだろう。会場にいても不思議ではない。
ディヴィッドと最後に会ったのは90年代の終わりごろ。ニュージャージーのパフォーマンス・アーツ・センターで開かれたルーベン・ゴンザレスのコンサートだ。終演後にライ・クーダーがバックステージへ連れて行ってくれて、おかげでマンハッタンまでの終電を逃してしまった。そのときにデイヴィッドが一緒にタクシーで送ってくれたのだ。
とても懐かしい!
もうルーベン・ゴンザレスも、カチャイート・ロベスも、イブライムも、コンパイ・セグンドのお爺ちゃんもブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーはほとんど亡くなってしまったのに、彼らがいたから知り合えたデイヴィッドとまた再会できるなんて。

コンサートがはじまる直前に電話が鳴った。
「1st が終わったら会いに行くから、座席番号を教えろ」とジェイソン・コールトンがいった。
彼とは2010年7月ぶりだった。
ジェイソンはフィッシュのパブリッシャーだった。彼がヴァーモントで会ったわたしの友人に「ホントのフィッシュのコンサートはもっとスゴいから、大きな会場でのショウをまた観に来てくれ」と声をかけたのがはじまりで、友人はそのショウにわたしを誘った。そのときにジェイソンと知り合ったのだから、もう20年以上もの付き合いだ。彼がいたからわたしはフィッシュを追いかけることができた。
ジェイソンはフィッシュ解散後(2004年)、トレインなどのパブリッシャーを務めていたようだが今はパンチ・ブラザーズのマネジャー。

久しぶりに訪れたワシントンDCでのコンサート。そこで、こんなに懐かしい人たちと再会するとは! とても幸せな気分になれた夜だった。

2016-06-20

甲斐扶佐義 写真展

京都にある「ほんやら洞」店主、甲斐扶佐義の写真展。そのオープニング。
甲斐扶佐義のことはその写真以外はまったく知らないし、「ほんやら洞」もその店名だけしかしらなかった。この企画に新宿のカフェ・ラバンデリアが関わっていたため、そして甲斐扶佐義と中川五郎が大学時代からの付き合いだったために参加した。

甲斐扶佐義の作品は、写真家としての教育を受けたものではないだろうと予測していたが、オリジナル・プリントを観てもその印象はかわらなかった。生活のなかの記憶−そちら側の要素のほうが圧倒的に強い。なので京都内ではとてもウケたのだろう。もちろん1970年代初頭という時代も後押ししたのだろうが。激動の時代のなかで「親しみやすい」写真。その相反するモノが同居する。それが「ほんやら洞」であり、甲斐扶佐義の作品だったのだろう。



2016-06-12

ビートとベビーブームの狭間



「コレ、だれ?」
いとうたかおがそう聞いたので「たぶんソロモン・バークだと思う」と答えた。
ライヴ後、得三店内で流れていた。
「ソロモン・バーグを観たとき、めちゃくちゃ泣いてん」と金森幸介が話しはじめた。
人は圧倒的な力をみせつけられたとき、うなだれるしかなかったとき、その相手を師と認める……という内田樹の文章を思いだした。
わたしはソロモン・バークを聞きながら、なぜかマール・ハガードのことを考えた。
ソウル・シンガーとカントリー・ミュージシャン。
彼らのリスナーが重なることはかなり少ないだろう。でもそのとき、わたしはふたりの音楽が似ていると思った。たぶん、とても「男っぽい」。
ガイ・クラークも男っぽい、無口な人だった。
彼の腰骨から腿にかけての太さ、強靭さは男っぽさの欠片もないわたしの想像を超えていた。あ、そういえばビル・グラハムも。
モハメド・アリはどういう人だったんだろう。
ビートとベビー・ブーマーに挟まれた世代、ベビー・ブーマー以前はみんな「男っぽい」印象があったのかもしれない。
ふ〜ん、マンダム……か?
ウチのオバちゃんは「美術界も同じ」といっていたので、文学のほうもそんな気になってきた。
金森幸介が「ロクなおとなしかいなかった」とうたうのは、こういう世代への反発か? 憧れか? ひ弱な肉体しか持たないボブ・ディランは完全に後者だろうなぁ。
次々と他界してしまう人たちと同世代のボブ・ディランは今、どんな気持ちだろう?
わたしは、もうすぐわたしにとっての「ロクなおとな」ばかりの世界になってしまうことに不安を感じているけど。

2016-05-06

男らしいってわかるかい



「コレ、だれ?」
いとうたかおがそう聞いたので「たぶんソロモン・バークだと思う」と答えた。
ライヴ後、得三店内で流れていた。
「ソロモン・バーグを観たとき、めちゃくちゃ泣いてん」と金森幸介が話しはじめた。
人は圧倒的な力をみせつけられたとき、うなだれるしかなかったとき、その相手を師と認める……という内田樹の文章を思いだした。
わたしはソロモン・バークを聞きながら、なぜかマール・ハガードのことを考えた。
ソウル・シンガーとカントリー・ミュージシャン。
彼らのリスナーが重なることはかなり少ないだろう。でもそのとき、わたしはふたりの音楽が似ていると思った。たぶん、とても「男っぽい」。
ガイ・クラークも男っぽい、無口な人だった。
彼の腰骨から腿にかけての太さ、強靭さは男っぽさの欠片もないわたしの想像を超えていた。あ、そういえばビル・グラハムも。
モハメド・アリはどういう人だったんだろう。
ビートとベビー・ブーマーに挟まれた世代、ベビー・ブーマー以前はみんな「男っぽい」印象があったのかもしれない。
ふ〜ん、マンダム……か?
ウチのオバちゃんは「美術界も同じ」といっていたので、文学のほうもそんな気になってきた。
金森幸介が「ロクなおとなしかいなかった」とうたうのは、こういう世代への反発か? 憧れか? ひ弱な肉体しか持たないボブ・ディランは完全に後者だろうなぁ。
次々と他界してしまう人たちと同世代のボブ・ディランは今、どんな気持ちだろう?
わたしは、もうすぐわたしにとっての「ロクなおとな」ばかりの世界になってしまうことに不安を感じているけど。

2016-04-07

マール・ハガード他界

カントリー・ミュージックの大御所のひとり、マール・ハガードが肺炎による合併症で他界した。享年79歳。

わたしは2005年に10回、マール・ハガードのライヴを観た。最初はシカゴのオーディトリアム・シアター(04-01-2005〜04-06-2005)で。その次はニューヨークのビーコン・シアター(04-25-2005〜04-30-2005)。ボブ・ディランのオープニング・アクトだった。

武骨で男っぽいイメージのあるマール・ハガード。社会的な異端者の内容を持つ歌と相反するようなやさしいメロディーは哀愁を感じさせる。しかしそのパフォーマンスは10公演すべてがまるで録画ででもあるかのように(セットリストも)同一のものだった。ライヴ感などというものは微塵もない。当時のジャム・バンド的で、めまぐるしくセットリスト、演奏形態が変化するボブ・ディランのコンサートとは対照的。そのためシカゴ公演の3日目にはかなり閉口し、飽きてしまっていた。4日目、それは苦痛に変わり、5日目には「今日で終わる」という安堵感さえ抱いた。ところがシカゴ公演が終了すると、なぜかマール・ハガードが聴きたくなる。その気持ちはだんだんとたかぶり恋しくなる。「よし、今度はどこまで同じか? 彼がステージに現れてセンターマイクに辿り着くまでの歩数。ヒット曲『ファイティン・サイド・オブ・ミー」の演奏時間。センターマイクからピアノに向かうタイミング。そのすべてを数え、計ってやろう」という気持ちになっていた。実際は途中であきらめたが、ポール・マッカートニーのパフォーマンスよりもはるかに画一的だったように記憶している。
ニューヨーク公演が終わるころ、それまで彼の歌が好きで聴いていた自分が過去のものであるような気がした。そしてそのときのわたしは新しいマール・ハガードのファンとしてその場にいたのだ。

Bob Dylan Cover / Sing Me Back Home

2015-10-23

ニール・ヤング・イン・ジョージス

先日、「アド街ック天国」を見ていたら六本木にあったソウルバー「ジョージス」がランクインしてた。
(youtubeは01:30ぐらいからご覧ください)
ジョージスで一番覚えているのは、お店に入るなりママさんが「さっきまでニール・ヤングがいたのにぃ〜」っていってくれたこと。
彼女はずっと「どこかで見たことのある人」と思っていたと話してた。で、ビールを1本だけ飲んで席を立った瞬間に思い出したらしい。
ニール・ヤングだって(笑)。
89年の来日時は六本木プリンスに宿泊していたから……ジョージスまでよくひとりで歩いてこれたね。

2015-08-19

ジョン・ゴム - ウェザー・マシン

イギリスのギタリスト、ジョン・ゴムから新作ビデオが届いた。なんか、もう「若手」とはいえない風格。髪を短くしてから迫力というか、汚さ?というか、見た目で聴かせるようになった。                         

                             


シャンタル・アクダ -movie

           オランダの女性SSW、シャンタル・アクダの新作、早く届かないかなぁ、

           

 

2015-08-18

Phish T-shirts

フィッシュのTシャツはとてもよかったね。2004年のコヴェントリーまでは。かわいいキャラクターものも多かった。マネイジメントが替わってからはデザイン重視になってしまって(幾何学模様っぽい?)、Tシャツの質も、流行なんだろうけどヘヴィウェイトではなくなってしまった。
こんなふうになったのはマーチャンダイズ専属スタッフが離れてしまったことに起因するんだけど、やっぱり大企業の傘下となってしまうことは得るものも大きいけど失うものもあるんだなぁと思ってしまう。それでもまだこんなふうにアメリカ国内で手作り?しているところはいいなぁ。コンサートはこんなふうにいろんな人たちが参加して作り上げて行くものだと痛感する。Tシャツ、マーチャンダイズがなきゃコンサートじゃないもん。

           

2015-04-24

アイレン・ジュエル / サンダウン・オーヴァー・ゴースト・タウン


アイレン・ジュエルの7作目。よくがんばっているなぁ〜。爆発的な人気、飛び抜けたヒット曲もないが、根気強く活動をつづけている。デビューしてからもう10年。そろそろ大きな転換期を迎えないと制作意欲や活動に影響が出かねない。そんななかでの新作はできれば応援してあげたいけど……わたしひとりが「いい!」といったところで、本作が爆発的セールを記録するわけじゃないし……困ったものだ。ルシンダ・ウィリアムス風のけだるいバラードは本当にいいんだけどなぁ。とても美人だし。