2017-09-02

糸川燿史写真展



写真家・糸川燿史は(わたしが知っているだけで)半世紀近く大阪のサブカルチャーを撮りつづけている。
「写真はな、50年過ぎんと意味を持ちせんねん」
糸川燿史は以前わたしにそう話したけど、時代の流れが加速しているので50年を待たずして作品は意味を、多くの物語をわたしたちに伝えている。それは写真だけに限ったことではないだろう。

すぐれたポートレイトがいつもそうであるのと同じように糸川燿史が撮るポートレイトは、どれも被写体のなかにある。レンズは静かに被写体へと近づき、その懐へと忍び込む。おそらくは被写体でさえもシャッター音に気づいていないようにも思える。
そんなすぐれたポートレイトはたくさんあるが、実際にはそれほどお目にかかれるものでもない。

わたしは物語性を持ったポートレイトはそれほど好きではない。
糸川燿史の写真のなかでは「パーフォレーション」(と本人が呼んでいるのかどうかは定かではないが、糸川燿史のフェイスブックにはときどきそうタイトルされている。フィルムの送り穴を意味する以外にも、他のものがあるのか、否かはわからない。同写真展での展示はない)という、プリントされたものに色をつけ、時代も場所も、「糸川燿史」という物語でさえも消し去った作品がある。わたしはその作家として挑戦的な写真が好きだ。半世紀もサブカルチャーを撮りつづけながらも、この写真展のように周囲から持上げられながらも、なぜ糸川燿史は「パーフォレーション」のような意欲的な作品を創りつづけられるのだろう。そのことを周囲はもっと讃えるべきだろう。





       

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