2015-03-28

大塚まさじ / アイノウタ deluxe


 








雲遊天下〈120〉(以下、原稿は同誌寄稿のもの

ボブ・ディランがネヴァーエンディング・ツアーをスタートさせた1988年、ソニーはポータブルのDATレコーダーを発表した。コンパクト・ディスクが一般的に流通しはじめてから3年ほどで、デジタル・レコーディングがお手軽になったのだ。翌年、トム・ペティははじめてのソロ・アルバム『フルムーン・フィーヴァー』で「CDリスナーへ ここからがB面」という音声を曲間に挿入した。大塚まさじの『アイノウタ』が発売されたのは1991年。記録物としての音楽を取り巻く状況が劇的に変化し、その混乱がようやく落ち着きはじめたころだった。
 「歌をうたって生きていこうと決めたのは10年ほどまえだったかなぁ」
大塚まさじ / アイノウタ
 大塚まさじのことばにわたしは少なからず驚いた。それは90年代半ばのことで、葉山の海岸線を彼が運転する車に乗っていたときだった。うたいはじめたころからずっとシーンの中核にいた大塚まさじ。ディランⅡ解散後もその支持は変わることなく、シーンが完全に衰退してしまった次の10年もなんなく乗り越えてしまうだろうとわたしは一方的に考えていた。にもかかわらず彼がそう決意したのはデビューから10数年も経てから。わたしよりもはるかに年上の歌い手が厚生年金会館に立つ姿はとても大きなものに映っていた。
 10年ほどまえ。それは大塚まさじが「一人旅」と銘打った活動をはじめた1985年のこと。わたしは70年代後半のストリート・ストリートの延長戦線上にあるものと安易な思考をめぐらせていた……が、それよりはスケールが大きく、ずっと過酷な作業であることもすぐに理解できた。振り返ってみれば、音楽そのものが混沌としているなかでの彼の行動、決断もわたしを驚かせた要因であっただろう。

 『アイノウタ』は大塚まさじにとってはじめてのCDであり、(フルアルバムとしての)前作『STREET STREET』からは11年もの月日を遡らなければならない。この間に5曲入『屋上のバンド』を88年に発表しているが、『アイノウタ』はそのキャリアのなかで2度目のデビュー作品といってもいい状況下にあったことはたしかである。
 「まず、長さが違った」と大塚まさじはいった。アナログ・レコードではAB面合わせても50分を切る作品がほとんどだったのにたいし、CD60分を超えるものがほとんど。さらに後者においては(作品における)長編物語を作らねばならず、「区切り」を持たないコンセプチュアルな記録物だ。前記したようにトム・ペティがCDリスナーへメッセージを送ったのもうなずける。後に邦楽CD市場ではシングル曲ばかりを集めたアルバム制作が一般的になっていくが、そういうコンセプトの重要性が、比重が大きくなっていったこともミュージシャンたちにはプレッシャーになっていただろう。加えて、デジタル・レコーディングという極めて電子的な数値で自身の音楽が歩き出していくことへの戸惑いものしかかっていたに違いない。その後のインターネットの拡散でさらに音楽は無機質なイメージを拭えないものとなっていく。
 ボブ・ディランのネヴァーエンディング・ツアー同様、大塚まさじの「一人旅」は遠方へと出向き、ライヴに足を運んでくれる人たちとのコミュニケーションを図る。それは時代とは逆行しているようにみえた。アルバム『アイノウタ』は色彩豊かな作品となり、長年の相棒・長田(TACO)和承にくわえ中川イサトも参加したことでアコースティックの色合いも濃い。バードコールなどが使用されているのは、おそらくレコーディング・エンジニアの藤井暁のアイディアだろう。本作において「自然」を意識させているのはサウンドだけではない。歌そのものにおいても人間界の摂理、(「一人旅」からの影響か?)「道」「つづく」などのことばか目立つ。高橋照幸「Free Green」は違和感なくわたしのなかへ溶け込んできた。
 20世紀最後の10年の幕開けとなった当時、新しいミレニアムはどうのようになるのか? との予想が飛び交っていた。その多くが「複製文化に台頭する身体性」との回答。米国ローリングストーン誌は「インターネットとライヴ活動……相反するものを駆使して巨大化していくバンド」という特集を組んだ。つまりは無機と有機の相互作用。それは、あのときにあった『アイノウタ』そのものだ。大塚まさじは「一人旅」で体験したものをこの作品に紡いだ。参加ミュージシャンは13人にのぼり、沢田としきの絵をアルバム・カヴァーだけではなく収録曲の歌詞ごとに配置した。押し寄せるデジタルの波に人力の防波堤で『アイノウタ』は対抗した。否、そのサウンドからすれば、デジタルを活かしながらアナログ的体験と彼のつながりを編み込んだというほうが正しいのかもしれない。大塚まさじは「カタカナの“アイノウタ”」であることを強調する。時代との融合を意識していたのか? その力強さ、アイディアは四半世紀を過ぎようとしている今日でも作品を色褪せないものとしている。(TEXT:北村和哉)
        

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